学問の神様 松森天満宮

松森天満宮の由来
Origin

学問の神様 松森天満宮
学問の神様 松森天満宮

諏訪神社、伊勢宮とともに長崎三社に数えられています。1625年に今博多町に創建し、1656年に現在の地へ遷宮しました。
江戸時代より学問の神として信仰されています。
本殿の外囲いの瑞垣の欄干間にはめ込まれた30枚の板には、県指定有形文化財の職人尽が薄肉浮彫りされています。正徳三年(1713年)、社殿改修の際に奉納されたもので、彫刻者は御用指物師喜兵衛、同藤右衛門です。
下絵を描いた画家は不詳であるが、当時の長崎奉行御用絵師の小原慶山ではないかと考えられています。天保三年(1832年)には、唐絵目利の石崎融思が彩色を施しました。
職人風俗が精緻に描写されたこの彫り物は、歴史民俗資料としての価値とともに美術品としても高く評価されています。

御際神
God of Occasion

天穂日命 菅原氏はもと土師[はじ]氏といい、その土師氏の御先祖
菅原大神 菅原道眞公
菅原是善卿 菅原道眞公の御父君。
文章博士・参議 812~872

菅原道眞公の略歴
Biography

承和12年
(845)
誕生
貞観4年
(862)
18歳 文章生試及第
貞観19年
(877)
33歳 式部小輔・文章博士
仁和2年
(886)
42歳 讃岐守(4年在籍)
寛平5年
(893)
49歳 参議
寛平6年
(894)
50歳 遣唐大使(遣唐使の廃止を奏請し、渡唐を中止)
寛平8年
(896)
52歳 民部卿(女子衍子[えんし]入内し女御となる)
寛平8年
(897)
宇多天皇譲位・醍醐天皇践祚
昌泰2年
(899)
55歳 右大臣
昌泰4年
(901)
57歳 太宰権師に左遷
延喜3年
(903)
2月25日 59歳 大宰府で死去
(この頃から朝廷・藤原氏の周辺に異変続出)
延喜23年
(923)
本官に復する(皇太子まで若死)
正暦4年
(993)
正一位左大ついで太政大神を追贈

天満宮の沿革
History

寛永2年
(1925)
今博多町の中島川のほとりに創建
明暦2年
(1656)
現在地西山(圓山・元諏訪社跡)に移転(奉行黒川與兵衛)
延宝8年
(1680)
社殿整備(奉行牛込忠左衛門・正門は中国人魏之?の寄進)
正徳3年
(1713)
大改修(職人尽を掲揚・奉行久松備後守定持など)
明治2年
(1869)
大改修
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